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融合と自立と…

知的障害・発達障害をもつ人 支援者 への支援雑記

オンライン在宅支援礼賛の時代に

今日、ある会合で、厚生労働省の障害福祉課・就労支援専門官に同席してもらい、「緊急事態宣言下における在宅支援事例検討会があった。事例を出したのは、僕の他に、僕らみたいな貧乏法人ではない2法人であった。
いつも通り、的外れで場違いな僕の発表とのコントラストが際立つ。それでも、この会合では、なぜか、僕が発言を求められることが多い。不思議なことである。

さて、考えさせられるのは、その内容である。
障害福祉の世界でも、「オンラインは素晴しい!」と、オンラインで在宅支援することに凄い注目が集まっている。今日の会場でも、「オンライン支援 No.1!」みたいな雰囲気であった。
僕も、そういうオプションがあることは、悪いことではないと思っている。しかし、ここでも絶対にマイノリティーが現れてくる。そのことへの危惧があまり感じられないことが心配だ。

以下に、架空のケースを紹介する。考えてみてほしい。

大地という45歳の青年がいる。彼は、知的障害だ。数字に弱く、生活保護費の受給を週2回に分けてもらうように設定し、どうにかやりくりしている。普通の受給スタイルでは、一気に使ってしまうから、就Bの職員とじっくり話し合った末に、自分でもそうしたいと言って、超分割受給スタイルにしてもらっている。
彼は、そうしながら地元の就Bに通っている。
家に帰れば、75歳を過ぎ、オムツ・半分寝たきり・20年以上風呂に入っていない母さんと二人暮らしだ。この母さん、こんな状態なのに、パチンコと喫煙のためには、這ってでもその場所へと移動する。その途中で怪我をすることだってある。
大地の役割は、その母さんの面倒をみることだ。大地はよく就Bの職員に相談する。
「オフクロに保護費を渡すと、全部パチンkとタバコに使っちゃうんですよ」
大地は、本当にこまっていて、なんとかしたいと思っている。
大地の母さんは、公的な支援を受けたがらない。最近になって、ようやくヘルパーのことを信用しだした。それまでは、ヘルパーを部屋に入れさせるなどということは絶対に許さなかった。そう。この母さんは、一刻者なのだ。ましてや、施設に入るなんて、一刻者は絶対に承服しない。そして、大地も、それを望んでいない。ギリギリまで一刻者母さんと一緒に暮らす覚悟なのだ。誰がそれを否定できよう。
そんな大地が、もしも、明日、彼の通う就Bからタブレットを貸し出され、
「来週からオンラインで在宅支援するから、通所はナシですよ」
と言われたら、どうだろう。大地は、ギリギリまで母さんと一緒に住まおうと覚悟しているとはいえ、在宅支援になれば、一刻者母さんとの暮らしに埋没していくだろう。今は、日中の就Bで、母さん以外の仲間と一緒に働くという時間があるから、一刻者母さんともやって行けるけれど、その就Bがオンラインの仮想空間になってしまったら、彼はやっていけるだろうか。
一方で、施設側の事情もあるだろう。オンラインと通所を同時並行二刀流やるという運営を継続すれば、1ヶ月でマンパワーが底を突く。施設は疲弊しきってしまう。いきおい、今の報酬体系の中でそれをやれば、利用者にオンライン一択を迫るような施設もでてくるだろう。オンライン一択が可能な利用者で固めれば、そっちの方がコスト抑えられる。だから、そういう利用者ばかりを相手にした就Bが出てきたって不思議ではない。それでも、それを支援と呼ぶのか?そういう素人受けする事業所が増えてきたときに、厚労省は、それも社会福祉事業の1ジャンルとして、予算をつけるのか?その変わりに何が削られるのか?オンライン支援オンリーなんてのは、私塾としてやるのではいけないのか?
オンライン礼賛になり、万が一、大っぴらにこれが認められるようになれば、大地みたいな青年を快く支援する就Bがどんどん減っていくかもしれない。
これはたぶん、僕の杞憂だと思う。でも、今日の会合は、そんな杞憂が僕の頭の中にモクモクと浮かんでくるような雰囲気でもあった。杞憂に終わるとは思うけれど、僕みたいに変な心配をする奴も、世の中にはいないといけないとも思う。
大地のようなケースは、実はたくさんいる。でも、
「オンラインはカッコイイ! スマートじゃん! 合理的~! ブラボー!」みたいに、スッキリと大衆受けする表現ができない事例なのである。
障害福祉の世界は、本来浪花節なのだ。しかし、素人受けする商売が台頭してくると、この本質を伝えるのに、結構苦労するのだ。
心配のしすぎだね。今日は、さっさと風呂に入って寝よう。
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テーマ:障害者の自立 - ジャンル:福祉・ボランティア

今、私がやっていること=就労移行支援事業所

みなさん、ご無沙汰しております。
こちらをご覧下さい。
http://ftl-1.co.jp/about_us/staff/index.html

職員研修

施設などで職員研修をやっていると、利用者と職員は一緒に育って行くものなんだという事がよくわかる。
最初はおとなしい職員達が、泊まりの夜に僕を質問攻めにするようになる。
研修メンバー外の職員までもが、僕をつかまえて何かを引き出そうとする。
そうなって来ると、利用者も様子が変わってくる。
そこが入所施設であれば、最初はお客さんみたいだった利用者の顔が共同生活者の顔になって来る。
施設をホテル化するな!という僕の主張は、今日的な施設論とは違うかもしれなう。
でも、職員達は、現場で、変わるはずがないと思われていた人から、一瞬でも人間臭さを感じ取れるようになると、その意味を貪欲に求めるようになる。

そういう姿に出会った時、僕は本当に嬉しい。

デジカメと福祉

今回は、毒にも薬にもならない話

ず~っと後回しにしてきた事が、蓄積して、心のどこかで負担になっている場合ってありませんか?
僕は、あります。

昨日、一気に写真を整理しました。
GWに僅かな自由?時間を得て、今しかない、と思っての大決断です。
このまま放っておくと、全てが流れていきそうな気がしたので。

おかげさまで、スッとしました。
随分と気分が違うものだと、潜在意識の中でストレスになっていた『整理されずに溜まった写真』の存在の大きさにビックリしました。

デジカメが普及し始めてから、撮った写真というのがやっかいなものになってきたと思いませんか。
昔は、撮ったらすぐに現像して、できあがったのをアルバムに突っ込んでいました。
この手続きがあると、自然と整理できていたようなきがします。
ところが、今は、JPEGだか何だかというファイルになって蓄積されていきます。
しかも、メモリやらHDDの容量がアップして、放置が可能になった分、放置される可能性が飛躍的にアップした様な気がします。
そもそも、写真整理などという作業は、緊急性のない後回し可能な作業です。
故に、手もとに『写真』として存在しない限りは、どんどん優先順位を下げ、いつのまにか手のつけようない状態になっていく。
(あ~、いやだなぁ)
と、心のどこかで思うのは、前頭葉のどこかで、『後々のこと』を考えている証拠です。
パソコンが、JPEGファイルを勝手に整理してくれるわけではないのですから、いつかどこかで自分がやらなきゃならないのです。
結局は、『ひと』の手でやることなんだなぁ、と実感しました。
ということは、パソコンやらデジカメやらを過大評価すると、そのつけは、必ず『ひと』に回ってくるわけですね。
どうでも良い写真なら、放っておいてもどうでも良いのですが、全部が全部そうとも限りませんから。その辺の仕分けだってしなければいけないことなのです。

見直してみると、大変。
10年以上前の写真まで出てきました。
あのときは、どんな気持ちでこの写真を撮ったのだろう??
デジカメの場合、また無駄撮りが多いこと多いこと…。
シャッターひと切りに掛ける想いがうすいんじゃないの?とも思います。
思い出すと、色々と、自分自身を反省したり振り返ったりするいい機会になるものだということも解ってきました。
これは結構充実した作業です。
あまりにも機器に依存して、溜め込みすぎると、この機会すら失うことになるのですが、その前に手をつけたのは、我ながら良い決断をしたと思っています。

同時に、
(進化すればするほど、ひとに、そういう大切な機会を『後回し』にさせる可能性を大幅に高めているハードって、一体どうなのよ??)
と、腹も立ってきました。
(ひとの生活を豊かにする仕組みとして、仕掛けとして、パソコンやらデジカメやらって、まだまだじゃん!逆行している!全然ダメ!)
というのが、今の僕の結論です。
でも、使っちゃうんだよなぁ。使わざるを得ないというか。
困ったものです。

あ、福祉もそうですね。
容量はアップしても、その弊害が凄く目立ってきてしまう。
そういえば、最近の新聞記事で、特別支援学校(学級)がどんどん増えているとか何とかいう話を読んだこともありました。
増やせば、それで一応解決するなんて、バカなこと考えちゃいけません。
後回しになるわ、無駄撮りが増えるわ、じゃ、後でひとが被る無駄な負担は拡大する一方になります。
そういう浅はかなメモリだか容量だかの増やし方をすると、あとで誰がそのツケを被ることになるのか、その辺まで考えて、仕掛け仕組みを作らないと、大変なことになりますよね。
ひとの生活を豊かにする仕組みとして、仕掛けとして、一体どうなのよ?
既存の福祉制度というものに疑問を感じ、無力感を感じ、別の動きをしようと思い、でも、既存の制度を認め使わざるを得ない現実もあり…。

福祉の世界が持つ一面って、デジカメやパソコンというハードが持つ一面とすっごくよく似ていますね。
大した知恵じゃないな、と思ってしまいます。
もちろん、僕の持つ知恵も五十歩百歩なわけで、僕も含めて、という話です。
ひとって、どうしてこうなっちゃうんでしょう…。
なんとかならんのかねぇ。

エコチャリ.com

僕が今取り組んでいるのは、自転車のリユース・リサイクルをすることで、放置自転車と環境負荷を軽減し、障害者の雇用も増やそうという事業。
ソーシャルベンチャービジネスモデルです。
立ち上げなので、眠る暇もなく頑張っています。
みなさん、応援して下さいね!
http://www.ecochari-rental.com/

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仕事づくり

健常者であっても、就職の口がない世の中です。
そのなかで障害者の仕事を、ということの難しさ…。

さて、僕は今、それをつくるということをかんがえています。

何か、作業所のような形態で、下請け作業を集めて…、
というのが福祉の世界でのオーソドックスな仕事作りの順序だと思います。
この場合の欠点は、仕事の受注が不安定になってしまうこと。
最初に『支援を必要とするひと』が集まっていて、そこに当てはまる仕事を探すとなると、出来る仕事は限られてしまいます。
また、世の中に必要とされる、或いは必要とされるであろう『仕事』が具体的な事業の原点起点にない分、障害者が実際に携わる作業内容や量が張り合いのないものになりがちです。
というか、原点起点が、『既にそこに集まっている人を救う』というところにあるのだから、そうなるのは仕方のないことだと思うのです。
ここに、福祉の悲しい現実があります。

もちろん、そこから始まりつつ、事業として成功している例もあるのだと思います。
これは、経営者(チーム)の思考が、すばらしく広い場合のみ、できることなのではないでしょうか。
僕は、資本と経営の分離が成り立っている障害者雇用の事例というものがあるのかどうかを知りません。
しかし、あってもあかしくはない、とも思います。
例えば、この厳しい時代に、トヨタがあえて作ろうとしている特例子会社などは、たぶん、そういう事例になるのではないか、と期待します。

最近流行言葉のように“協働”という単語が眼にちらつきます。
福祉とかNPOなどが企業や行政と組んで、何か事業を為すことを協働と表現するのでしょうか。
ただ、どうも、この概念が今ひとつわかりません。
何か、双方の期待がすれ違っているような、そんな不安が感じられます。

福祉の精神が言う理想はよくわかります。
(そういう理想に、国や資本家は資本を投下せよ!)
そういう気持ちもわかるのです。
しかし、良くも悪くも、資本は拡大再生産するところに集まります。
これは必ずしも「理想」ではないでしょうか、「原理」であり、「事実」です。
もちろん、倫理なき資本のかき集めの如き商売は許せませんが、そうでない限り、この原理原則を無視することは出来ないと思います。
であれば、結果的に障害者の雇用拡大に繋がるであろう事業を起こす場合も、この原則に則った起業をする必要があるのではないか、と僕は考えています。

企業と組むということは、そういう論理を持って仕事をつくるということでしょう。

今回は、僕の考える「仕事作り」の一端を書きました。

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新年あけましておめでとうございます。

新年あけましておめでとうございます。

昨年は、時期で言うとリーマンショック以降、大変な状況に見舞われました。
いやはや、鍛えられます。
中でも、一番の大事は、提携企業の業務縮小に伴う、直接就労支援事業休止という事態です。
この話をすると、
「えっ?障害者を支援するNPOにも、そういうこと(世界経済の動向)って影響するの??」
と言われます。
あるのです。それも、もの凄くダイレクトに。
あるから価値があるのです。

もちろん、直接の影響が大きすぎると運営経営が落ち着かない(僕らがホームレスになってしまう)ので、それは程々にでないと拙いのですが…。
従って、このままの形で良いとは思っていません。継続できない法人活動はあまり意味がないと思っています。継続できる形にしていくというのが、今年のテーマになるでしょう。
当たり前すぎて、基本的すぎて、実にお恥ずかしい話です。

我々は、一般企業同様、企業内で働いて得た収入のみが糧になっていますから、今回の様な理由で提携する企業を失うと、その時点で直接支援という活動(場合によっては法人の活動)を停止せざるをえなくなります。
そんな中、僕らの支援から離れ、這いつくばる様にして一般企業就労へと繋がっていった知的障害者も出てきました。
大勢の失業者が厚労省の講堂目指して行進するこのご時世に…。
まさに、『災い転じて-』です。
大変な混乱の中、最善の判断をしたという自負はあります。

話は変わります。

今回の不況に伴う活動縮小に似た状況が、以前にもありました。
その時、ある知的障害者は、我々NPOから離れざるを得なくなり、僕も八方手を尽くし、彼は何とか一般企業への就労を果たしました。
彼の名は、静夫といいます。その時の年齢は38才。知的障害を持つ母さんと家族に支えられて、どうにか地域で暮らしてはいました。
静夫は、ある方法(知る人ぞ知るで、実に色々な方法があります。)で金を手に入れると、寅さんの様に旅に出てしまう人で、とても一般就労は無理…とささやかれた人でした。

寅さんは、我々の処に流れ着き、当然、僕との対決もありました。
三ヶ月ほど我々の下で働いた彼は、仕事もまずまずこなせるようになり、
(さて、この人のどこが障害になって、就職できずにいるのだろうか?)
と、僕が思い始めた矢先のことです。
かれは、もらった工賃を手に、フラリと旅に出てしまいました。
一ヶ月の豪遊期間を経て、静夫は何の悪びれた顔もみせず、帰ってきました。
しかし、驚いたのはその後のご挨拶でした。
静夫は、挨拶もそこそこに、極めて緻密な観察と判断で、不正に工賃を得ようとしたのです。
「○月×日に出た工賃はもらっていません。△□円足りませんでした。」
と、妙に飄々として威圧感を持って食い下がる静夫に、
「いや、確かに渡した!」
と、彼の眼をのぞき込みながら、僕は応え続けました。
彼の経験からいって、水掛け論に持ち込めば必ず静夫の手に入るはずの金を、僕は渡しませんでした。
静夫は嘘をついている。そういう確信が僕にはありました。
しかし、物的証拠はどこにもありません。そして静夫は、恐ろしいことに、証拠がないことをしっかりと確認した上で、僕に食い下がってきているのです。
静夫の『嘘』を『誠』にしてしまえば、彼は旅から二度と戻ってこられなくなります。
物理的には拘束できるかも知れませんが、精神的にはアテのない旅を続けることになるのです。
誰かが止めなくてはいけない。それを静夫のニーズと呼んで良いのかどうかは、僕には分かりません。
しかし、戻ってくるところのない旅は、長期的に見れば苦痛でしかありません。勿論、静夫はそんなことまで考えません。
(粘ればやがて『嘘』は『誠』になる。そういう経験知が、彼を不敵に飄々とさせているに違いない。)
僕は、そのように直感しました。直感だなんて、全く論理的ではありませんが、目の前にいる静夫もまた、論理を超えた何かに突き動かされていることは確かです。
長い時間、僕と静夫は会社の前を通る歩道に立ち尽くし、眼を覗き込み合って水掛け論に挑みました。
最終的に彼は、その歩道の上で、
「わかりました。今度から、気づいたら手をつけずに、すぐに言う様にします。」
という言葉で締めくくりました。
あくまでも、自分が嘘をついたという証拠を残さずに、手を打ったわけです。
僕もそこで手を打ちました。あらゆる意味で、ギリギリだったと思います。

その後、静夫は根気強く仕事に励み、寅さんに豹変することもなく過ごしました。
僕としては、当然、想定の範囲内の出来事でしたが…。
このての問題課題に直面すると、いつも、
(知的障害っていったい何だ??)
と思います。
もしかしたら、あの時、僕たちが彼の誤った経験知を砕き、再スタートを切らせたことで、彼は別の世界、つまり、気質の世界を経験する切っ掛けを得たのかもしれません。

その彼は今、大手企業の大規模な店舗内で、毎日汗を流して働いています。
もちろん、この先何があるのかは分かりません。
でも、社会保険も所得保障も満足にない僕よりは、よほど安定した職業についている彼を想うとき、
(よかったじゃないか。)
と、素直に感じます。

☆☆☆

そんなこんなで、今年はどうなることやら。
NPOとしては、存亡の危機にあるということは確か。
でも、NPO法人がどうのこうのなんて、あまりこまいことは云わず、よりよい社会を作っていく様な活動をしつつ、生活が何とか出来ればいいと思います。

本年も、よろしくお願いいたします。

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年の瀬に

不況のなか、年の瀬を迎えました。
就職した者達の状況が気になります。

光男から僕に電話がかかってきました。
営業で出歩いていた僕は、時期が時期(不況と失業者増大)だけに、通話ボタンを押すのを躊躇いました。
しかし、その時はその時です。すぐに思い直して電話を取りました。

「あー、高原さん、元気ですか?」
と元気な声。
まずはホッと息をつきました。
「う~ん。元気だよ。」
と返事をします。

光男は、軽度の知的障害を伴う自閉症です。作業所も、企業でも、上手く続かずに挫折の連続。ついに家で引きこもるに至った男です。
困って母さんとケースワーカーが、僕が当時やっていた無認可企業内作業所に連れてきました。
青瓢箪のような顔をして虚ろな眼をしていたのをおもいだします。

その青瓢箪、僕や他の障害者と一緒に、1年程度、肉体労働を繰り返しました。その間、いろいろとあったものです。
一緒に働く仲間と喧嘩になったり、自分の誤解から友人関係が上手く行かなくなったり…。
『サリーとアン』ではありませんが、『心の理論』で苦労して、捨て鉢になり、
「僕は、明日職安に行ってくるから、休ませて下さい」
と、漏斗みたいに口を曲げて訴えてきたこともありました。
勿論、却下。
とてもじゃないが、そんなことを言っていて勤まる職場などない、というのを、僕の方が確信していたからです。
説得は大変ですが、今職安になど行かせてたまるかという僕の思いは、何とか通じました。
その後、彼は急成長しました。

漸く漕ぎ着けた就職先は、本人の希望していた格好良い職場ではなく、作業服を真っ黒にして働く職場。
しかし、本人の希望は、本人のイメージによるものであり、現実がそのイメージを大きく変えてしまうことはよくあります。
一度、辞めさせて下さいと社長に直訴して、その運びとなった直後に、再び本人の自己判断で、
「やはり、続けさせて下さい。」
と、再直訴して、就労継続となりました。
あれから、どのくらい経ったでしょう。

「(上司の)健さんと一緒に頑張っていますよ。」
と言う光男の声からは、青瓢箪を想像することはできません。
「僕は知的障害。」
という、はっきりとした自己規定の中、知的障害のチの字、自閉症のジの字も知らない職場に、僕によって放り込まれた彼は、その障害に対する無配慮な環境を好みました。光男の場合、きっとそうだろうという僕の狙いは見事に当たったのです。

「高原さん、クリスマスですよ。タカちゃんやミホちゃん(僕の息子と娘)に、今年は何を買ってあげるのかなぁ、と思って…。」
僕は、
(なるほどね。年中行事の確認作業を兼ねて、現況報告か。フフフ…。さすが自閉症!)
と笑ってしまいます。
こういう繋がり方も嫌な気分はしません。
脱青瓢箪の光男にエールを送ります。

はたして光男は、逞しくこの不況を乗り切っていくのでしょうか。
どっちにしても、光男が成長し続けることに違いはありません。

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もらい泣き

生々しくて、上手く書けないことが多くあります。
今日書くこともその類です。
あまりきちんと書けませんが、書きます。

僕は、ある認可保育園の職員研修を受け持っています。
そこは、難しいと言われるやんちゃな子どもを積極的に受け入れている、すばらしい保育園です。
やる気十分の先生達を前に、その熱気に圧されることもしばしば。

ゲンちゃんは5歳の男の子。診断名は自閉症。
入園から5歳の春まで、先生達や親をとことん振り回してきました。そして誰よりもゲンちゃんが、そういう自分に振り回されてきました。
走り回って日課に乗らない。お昼寝しない。水道のバルブを片っ端からへし折る。等々。
サイズが小さいとはいえ、成人施設の強度行動障害も顔負けの目立ち方をしてきました。
ゲンちゃんとどう付き合うか、それを先生達に提示するのが僕に与えられた仕事でした。

怒っていいのか?
そっとしておいた方がいいのか?
彼はなにを思っているのか?
先生達は悩みます。
(しかし、いい悩み方だな。)
と思いました。
保育園全体として、彼を受け入れていくことを思考の起点としているからです。
そして、母さんも、平均的な共働きの親などと比較しても、遙かに厳しい条件のなかで、ゲンちゃんを育て続けています。

僕は、ゲンちゃんの様子を見て、
「将来社会生活を送っていくために、ゲンちゃんが身につけなければいけないことというのは、他のこと何ら変わりないよ。」
と言いました。
また、
「でも、手間暇がかかる。回り道もする。でも、ゲンちゃんは凄く健気に頑張っている。そこを解ってあげることが先決。」
とも言いました。
そして、何がどう回り道になるのか、何がどう時間がかかるのか、何をどう健気に頑張っているのか、僕は、毎度毎度の先生達からくるいい質問に答え続けました。

やがて、お昼寝が出来る様になり、日課から逃げなくなりました。
先生達の発言内容が、ゲンちゃん側にグッと近くなってきたのを感じ始めた頃、ある先生が、
「ゲンちゃんがひとりの子どもとして見えてきました。」
と言いました。
(凄いな…。)
僕は感動させられました。
ゲンちゃんが伸び始めたのもこの頃でした。

やがて一大イベントである運動会が近づいてきました。
今まで、ゲンちゃんは、この行事にまともに参加したことがありませんでした。
これまでは、練習も本番も、ひたすら関係ないところへ向かって走り回り、隠れ、高いところに上っては棒を振り回し、というお話しにならない大騒ぎだったといいます。
しかし、今回は明らかに違います。
去年までの姿勢を観れば、表面上は、『拒絶』とも受け取れる姿勢です。
子ども達の集団に溶け込みたいというゲンちゃんの気持ちや努力を察っする事が出来るプロ集団の先生たちは、『拒絶』という表面的行為の裏で身を焦がすゲンちゃんの信頼を勝ち得ました。
運動会間近のお昼寝時間に、ゲンちゃんはこっそりと先生に打ち明けました。
「ぼく、運動会楽しみなんだ…。」
果たして、ゲンちゃんは、走れなかったトラックを走り、集団のダンスを踊り、見事に主体的に運動会を友だち達と一緒にやりきったのでした。

母さんは、
「ゲンは運動会の前の日も、『楽しみなんだ』と言って、私に出し物のダンスを踊って見せてくれて…。始まったら、周りの子を励ますくらいに張り切っていたんです。あの子が、あんなに出来るなんて、思わなかった。」
と、涙していました。

その場にいた僕は、もらい泣きを隠すのに精一杯でした。
(いーぞ、ゲンちゃん。頑張っているね!)
ガッツポーズです。

人として生まれてきた醍醐味を黄金時代に味わっているゲンちゃん。
こういう経験は、きっと役に立ちます。一生の宝物です。
ゲンちゃんにとっても、母さんにとっても、先生達にとっても。

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転機に

「のれんに腕押し」「柳に風」
そう思うことが、よくあります。
終いには、
「この人は、言っても解らん。」
と切り捨てたくなります。
ある教師は、怒ろうが何をしようが、ちっともわかってくれない知的障害の児童を前にして、
「卒業後の教育費は全て俺がもつ。」
と腹をくくって、積極的な指導を棚上げにしたそうです。
凄い先生だな、と思います。
僕などは、そこまで腹をくくれませんから、どうにかして伝えたいと悪あがきを続けます。

「おい寛太、工場の中を歩くときは、気をつけろ!ひとや物にぶつかるな!」「他の人が使っている工具を借りるときは、きちんと許可をもらってからにしろ!」「周りをよく見ろ」「注意されてもイライラしちゃいかん!教えてもらっているんだから、ありがとうございました、だぞ!」
口を酸っぱくして言いつづけること二年。しかし、ちっともこれが入っている気がしないのです。
実際、寛太の行動は変わっていないし、その表情をみれば、正に、「ドコフクカゼ」といった風情です。
(自閉症だからかなぁ?俺の伝え方の問題なのか?怒ればいいのか褒めればいいのか?言ってもダメなのかなぁ?ティーチみたいにやっても入るかんじじゃないなぁ、これは…。)
もちろん、ある程度の枠の中にはいますし、仕事だってします。でも、打てば響く、という気持ちよさがないので、ひとづきあいをしている感じがしない訳です。
これじゃみんなつまらないし、寛太自身が浮いてしまって、辛いだろうと思います。
心や空気は読んでいるが、場を読めない、というか読もうという気がないというか。寛太に限らず、僕らの様な人間の支援が必要な人全般に言えることの様に思います。
僕はいつも悩んでいました。

ある時、諸事情から寛太を含む数名が当時いた職場に居続けることができなくなり、寛太もついに次の職場を探さなければいけなくなりました。
僕は、その事情を寛太に告げ、ある企業と面接のアポを取りました。
僕は会社案内のコピーを寛太に渡しつつ、
「おい、寛太。面接が受かれば、実習。実習が受かれば、就職だ。面接で落ちれば、この話はなしになる。実習で落ちても、この話はなしだ。いいな?」
「はい」
今日は柳ではありません。
「よし。それじゃ、これから面接までの間に、今度受ける会社で勤めるために必要なことを高原さんが教えてやるから、よ~く聞くんだぞ。いいな?」
「はい!」
これも、打てば響く返事です。
その後、早速「伝授」が始まりました。
伝授の内容は…、
「おい寛太、工場の中を歩くときは、気をつけろ!ひとや物にぶつかるな!」「他の人が使っている工具を借りるときは、きちんと許可をもらってからにしろ!」「周りをよく見ろ」「注意されてもイライラしちゃいかん!教えてもらっているんだから、ありがとうございました、だぞ!」
要するに、今までと全く同じ事を同じ人間が同じ口調で言っているだけです。
にもかかわらず、これが寛太にスラスラと入っていきます。

ある日、寛太の隣で作業する従業員さんが、工具不足で困っていることがありました。寛太はおもむろに、
「これっ!どうぞ!」
と、何食わぬ顔と気合いの入った声と共に、自分の工具を貸し出したものです。
(えっっ!こんなこと、教えていないのに!)
僕は寛太を見て、本当に驚きました。
しかし、考えてみれば、寛太は同じ事をいつもやってもらっていたのです。それを今度は自分がやったということなのでしょう。
(寛太のやつ、見事に場を読んでいるな…。)
僕はガシガシと働く寛太を見て、ほくそ笑んだモノです。

この寛太の変化は、何なのでしょうか。
これがわかる人、大好きです。

「切実感」って、本当に大切ですね。
仕組んで盛り上がるものではないけれど、それを捉える運動神経のようなものが、指導者には常に求められます。

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不況

世間は、アメリカ発の不況に喘いでいます。
これは、僕らの様な『公的資金ゼロ』で質的『高福祉』を行うというコンセプトで、障害者の就労支援を行う団体をも直撃します。
我々NPO法人は、一般企業のなかに入って、障害者のグループ就労という形を実現してきました。日々我々がその中で一緒に働くことで、生産性を上げ、企業にも利益をもたらす様にしています。
しかし、本当によくしていただいた企業やその従業員さんとの別れが、こういうタイミングで訪れます。

僕は哲夫に質問しました。
「哲夫、最近どうだい?この仕事はきつくないか?」
哲夫は間髪おかず、僕の腹を見透かした様に、
「あ、楽しいです。続けたいです!」
と微笑みながら答えました。
(ウッ…)
僕の口から次の言葉が出づらくなります。
(きつい、もう辞めたい、こんな仕事はイヤだ、と言ってくれたらいいのに…。)
経済が順調にいっているときには、考えられない思考が、このときばかりは僕の頭のなかを過ぎります。
「実はね…」
僕は言葉を臓腑から捻り出す様な気分になりつつ、おもむろに事情を話し、早急に打たざるを得ない手を彼に打ち明けます。
愚かな僕は、漸くこの時になって、彼が一般企業の中で働くということの意味深さを認め、ここは本当にいい会社なんだな、ということを確信します。

ある者は、単独での一般就労へと向かいます。
しかし、実力やタイミングや運、その他諸々の要素が欠けているが故に、そうできない者もいます。
公的資金を使った福祉というセーフティーネットが機能すべき時です。
懇意にしていただいている地域作業所等との連携が威力を発揮します。このような志の高い福祉関係者がいるからこそ、僕らの様な団体が支援という仕事を続けられるのでしょう。
そういったことはいいとして、僕自身はというと、『身を切る』思いなのです。

哲夫達が仕事を失うということは、彼等と全く同じ仕事をして食いつないでいる僕たち無謀なスタッフが仕事や収入を失うということです。
(本当に、これでいいのだろうか…。もしかすると、ここまでかな。)
もう少し、安定した基盤を持たなければいけないというのは解っています。
仙人ではありませんから、僕たち自身の生活のことだって、考えなければいけません。
今は答えなど出てこないのですが、悩みつつ、契約が成り立ちそうな仕事を探すことになりそうです。




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はてしなく

幸か不幸か、僕の支援する範囲には、優秀な人というのは滅多に現れません。
大抵、どこかで躓き、就労は難しいと言われ、それでも何とかしたいという思いを胸に秘めて、与えられた環境に対して上手く適応出来ずにいる人たちなのです。

原道夫も、おそらくそうでした。
自閉症の道夫は、『パニック』になるという理由で、周囲から腫れ物に触るようにして扱われていたのだと思います。
養護学校高等部では、同じクラスにいる生徒から何かを言われる度に、騒いでしまっていたそうです。
道夫にとって、たいそう気になる種類の刺激だったのでしょう。そういうことはよくあることであり、本人の苦労は察するに余りあります。
おそらくは、学校の先生も僕と同じように『察するに余りある』と思ったのでしょう。
学校の先生の対応は、道夫をその場から外して、クールダウンさせるという『対応』が中心でした。
道夫の基本的な評価は、卒業するまで変わっていません。それは、道夫に対する指導というか、『対応』は、卒業するまで、基本的に同じであったのだろうと僕に思わせます。

僕には、こういった『対応』を非難する事は出来ませんが、こういう『対応』だけで本人が一回り大きくなるとは考えられません。だから、能力的には相当高いものをもちつつも、卒業と同時に就職が出来なかったというのも肯けます。
僕も、彼と付き合い始めた頃は、この『対応』をとったこともありました。しかし、この『対応』をしていて、道夫と僕が『人付き合い』をしていけそうな気がしなかったので、すぐにやめました。

道夫は、ひとから何か指示を出されると、ブツブツ言い始め、ウロウロとうろつき回り、はっきりと言えば、不気味なのです。だから、指示を出す方も気後れしてしまいます。
施設の職員さんは、よく、『様子を見る』という表現をしますが、人付き合いにならない範囲での『対応』を職員にさせてしまう何かが、道夫にあるわけです。
僕は『対応』ではなく、『人付き合い』がしたいから、その何かを突破する事ばかり考えます。
だから、道夫が指示を出され、ブツブツ言い始め、ウロウロと彷徨き回る現象が、この上ない『お付き合いのきっかけ』に思えてなりませんでした。
好機はいくらでも転がっていたので、僕と道夫をすぐに人付き合いを始められました。
面白いことに、この人付き合いが始まったことで、道夫はホッとした様に見えました。ぐんぐん力をつけ始めたのです。(この課程の描写は別の機会に譲ります。)
やがて道夫は企業に就職しました。

道夫の就職後、二ヶ月ほどたった頃でした。道夫の上司から電話がありました。
内容は、道夫についての相談でした。
上司曰く、
「今まで道夫君に任せていた仕事が一段落ついたんです。それで、別の仕事を道夫君に頼んだら、彼がいやだというから、もう一つ別の仕事を用意して、それはどうかときいてみると、ブツブツ独り言を言い始めて、ウロウロして…仕事をしてくれなくなってしまったんです。昨日も同じようなことがあって、半日で家に帰ってしまったんです。今まではこんな事なかったのに…。どうしたらいいんでしょうか?」
僕は、すぐに道夫に電話を替わってもらいました。
僕は、上司が道夫に任せようとした、もう一つの仕事が、道夫にとって難しい仕事ではないということを知っていました。
そして、それが、『指示に従わない』という意志的な行為ではなくて、上手く切り替えられなかっただけであろうという予測もたっていました。
従って、道夫は今回の件を後悔して、更には、修正できないのではないかと思い、不安に駆られているはずだという想像をしていました。
だから、道夫に対してかなり思い切った言い方をしました。
「道夫、ボスの指示は守れ。給料をもらうのなら、まずはそこからしっかりとやること。原さんと仕事をしていた時は、原さんの言ったとおりにやってもらっていた。同じ事だ。」
「え~!あの仕事をやらなきゃいけないって!」
「そう。あの仕事をお願いされたら、あの仕事をやる。そんなの考える事じゃない。ウロウロしている場合じゃない。まずは従うことだ。やってみて出来なきゃ、その時考えろ。まずはボスの指示に従う。」
「…は、はい。え~…。」
煮え切らないというか、自信のないというか、つまりは、そういう中途半端な返事をしながら、彼は仕事に復帰していきました。

僕は上司から電話でこの説明を受けたとき、その絵が見えるようでした。
何故なら、似たような例はたくさんあるからです。
おかしな話ですが、道夫は、上司の指示を不服に思い拒絶したという訳ではなかったようなのです。
実際のところ、指示に従えずにウロウロした道夫自身も、大層後悔していたのです。
そのことは、直後に母さんに電話で確認してみたら、はっきりと解りました。
道夫の母さんは受話器の向こうで笑いながら、
「そうなんですよ…。昨日は半日で帰ってきてしまって、『俺は、偉そうにしてしまった!』って、自分で言っているんです。あの子は、そういうところがあるんです。相手に影響されちゃうんですよ。そういうときは、一発殴ってでも、ビシッとやらせた方がいいんですよ。」
と、威勢の良いことを言っていました。
(一発殴ってでもか…。)
ついこの間まで、そういう道夫を見て、オロオロとしていた母さんが、すっかり肝っ玉母さんに変貌しているので、僕は苦笑してしまいました。
おそらく、母さんは、道夫が上司の指示に従えずに後悔しているのを、凄く身近に感じていたのでしょう。そでなきゃ、一発殴ってでも、何て言うはずがありません。

道夫も道夫です。
家に帰って、『俺は偉そうにしてしまった!』と絶望的な叫び声を上げて後悔している様は、非常に格好悪いのですが、その格好悪さをしっかりと認識していて、何とかしたいと切に願っているのでしょう。
そういう背景が、道夫の出勤する会社からの電話により想像できたからこそ、僕は、ボスの言うことを聴け!と励ましたのです。

今回は、母さんが言うように、ぶん殴る必要はありませんでした。
受話器越しの励ましをきっかけに、道夫は軌道修正して再びボスの指示の下、偉そうにならずに働けるようになったようです。
もちろん、会社の上司にも、『仕事上の指示はお伺いとは違う』『指揮系統を明確に』『その辺に気をつけないと、本人が混乱する』 ということをお伝えしました。
上司であるその方は、私なりに頑張ってみます、と前向きでした。

「偉そうにしてしまった!」
とは、言い得て妙です。
しかし、その言葉を聞いて、あ~、これは、ちゃんとやれなくて後悔している、あるいは不安に思っているんだな、と感じ取れる感性は、『さすがは母』です。
ポイントは何点かあります。
まずは、本人が『偉そうに』なってしまったことを後悔しているということに対する、母さんの理解があります。
さらに、道夫のブツブツ言って仕事をしないという表面上の態度に振り回されてはいけないという僕の意見がありました。
そして、そのことを上司が理解してくれました。
基礎には、何よりも、本人には『早く軌道修正したい』という意志があります。
それらが噛み合って、軌道修正ができたのでしょう。

もちろん、道夫が社会に出て働きつづけるには、これからもたくさんの壁を超えていかなければいけないでしょう。
きっと、色々な人に支えられるに違いありません。
そして、必ずしも上手く超えられるとは限りません。
それどころか、途中で断念しなければいけない事態が発生する可能性も大きいと思います。
それでも、彼は行くのです。

きみの~ゆく~みちは~♪
という歌があります。
だのに~、なぜ~♪
なのです。
だのに何故、歯を食いしばり、君は行くのか、そんなにしてまで…。
道夫が社会に出て働くということは、道夫なりの限界への挑戦なのだろうと思います。
僕は、若い力をそういうところにぶつけている彼を見ていて、とても眩しく感じます。
しかし、それは、彼一人で出来ることではありません。
そもそも、働くというのは、一人で為し得ることではありません。
労働の義務は、大昔から共に生きるということを支えるために存在したものなのだそうです。
自閉症と知的障害というハンディを負った道夫は、そのことを実感するが為に今のような生活を選択したのではないでしょうか。はてしなく遠い、その道を…。
僕はよく、『一人仕事など、この世には存在しない。』と、知的障害をもつワカランチンの人達に説明します。
一人仕事など存在しない。だからこそ、彼等は、そこ(仕事)に打ち込むことで生を実感できるのでしょう。

生きていれば、それだけで価値があるという主張があります。
そう思わなければいけないと、僕も思います。
そして、それは真理だとも思います。
しかし、このあまりにも綺麗な論理の中で、割り切られ、切り捨てられていく人達がいるのもまた事実です。
『それでよしとしない人達』がいることを無視しているのではないかと、首を捻らざるを得ない場面に遭遇することがあります。
綺麗な論理を根拠に、少なくない歪な論理を捨象するのは、支援する側の傲慢ではないのか…。

(頑張ろう。)
まるでご褒美を貰ったときのように、僕は心の中で呟きました。

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夜明け(下)

守の職場開拓といったって、そんな簡単なことではありません。
第一印象が重度ですから、一見しただけではやる気があるんだかないんだかわかりません。普通はこの人が一般企業に就労出来るとは思いません。
しかし、そこは藤岡さん。あの手この手で企業を口説き落としたようです。
はれて就職!
しかし、これからが本番なのです。
守が就職したのは、食品関係の会社です。
今、配属になっている場所は、野菜を袋詰めにする仕事をする部署。
そこでせっせと働いています。
案の定、本人はその会社を気に入ったようで、毎日意気揚々と通勤しています。
しかし、二ヶ月すると、異変が起こりました。

ある日、藤岡さんは僕のところに電話をしてきました。
「守が会社でウンチをいじってしまって、ウンチだらけで職場に入るから、問題になっているんだ。トイレに行くたびにやっているらしい。守が高原さんの所で働いていたときは、そんなことやってた?」
もちろん、そんなことはやっていませんでした。第一、やっていたら僕にどやしつけられます。
僕の所は汚れ仕事ですが、今守がいる職場は、食品関係の職場です。これは致命的だといわざるを得ません。
それで、藤岡さんも少々焦っているようでした。
藤岡さんは、こういう問題はグループホームや親が一丸となって対処しないと、修正できないのではないか、と疑問を投げかけています。
もちろん、それが一番いいに決まっています。僕も、
「それができるのなら、それが一番いい。」
と藤岡さんに言いました。
しかし、こういう場合いつもそうなのですが、どうすれば彼を取り巻く人たちが一丸となれるのかという疑問に答えるような実践がないと、机上の空論は空を回り続けるのです。
今回も、そこに陥ってしまいそうな気配が、濃厚になっていました。
藤岡さんの所属する組織は、藤岡さんにこの問題を丸投げしてしまい、藤岡さんは途方にくれているのです。
藤岡さんは彼の上司から、守がフュージョンで問題を起こさなかったのは、高原さんがスペシャリストだからだ、と説明されたようです。
(やっても無駄)
と言外に匂わせているのでしょう。
その話を聞いて、僕は、
(冗談じゃない!)
と思いました。
藤岡さんも、そんな身も蓋もない言い方に、首を捻っています。

藤岡さんは、とにかく何か行動を起こそう、と思い、僕に相談してきたのでしょう。
「今日、守の所に行って一日張り付かせてもらうんだ。そこで指導するんだけれども、高原さんだったら、どうする?」
アドバイスを求める藤岡さんに、僕は、こう聞き返しました。
「守は、その会社を気に入っているんでしょ?周りからも気に入られているんだよね?」
藤岡さんの答えははっきりしています。
「辞めるか?って聞くと、辞めない、って言うんだ。オウム返ししないんだよなぁ。気に入っているんだなぁ。会社の人達も守を頼りにしているんだ。なにしろ、15キロくらいあるタマネギが詰まった箱を、どんどん空けてくれるから、助かるみたい。」
僕は、以前藤岡さんが守を僕の所に連れてきたときに、わけがわからん、とぼやいていた姿を思い出し、
(藤岡さん、ずいぶんと感度を上げたモンだ…。)
と感心し、ニヤニヤしつつ、即座にこうアドバイスしました。
「とにかく、しつこく“ウンチをいじっちゃダメだ”“食品関係でそれをやっちゃうとクビになる”って言って。一回二回じゃ変わらないんだから、100回でも、1000回でも言って。時間の許す限り、そればっかり言って聞かせて。本人が嫌と言うほど言って聞かせて下さい。」
藤岡さんは、ちょっと心配そうに、
「そんなにしつこく言って、おかしくなっちゃったりしない?」
と僕に尋ねましたが、僕は、
「おかしくなることはない。」
と断言しました。
「一日くらいで何とかなるとも思えないけれど、とにかくやってみる。」
藤岡さんは、トボトボという感じで、守の職場に向かいました。
しかし、僕には、守がその会社に勤めたがっているのだという確信がありました。
会社と守とは相思相愛の関係にあります。
撤退の時期ではありません。

その数日後、僕は藤岡さんに確認の電話を入れました。藤岡さんの答えは、
「あれ以来、止まっている。」
でした。
藤岡さんも自分が開拓した職場だっただけに、必死だったのでしょう。僕が頼んだように、とにかくしつこく本人に言ったのだそうです。
しかし、僕はそのことが直接効果をもたらすとは考えていませんでした。藤岡さんが現場でしつこく言い聞かせることによって、別の何かが引っ張り出されてくる。それが守の問題行動を止めるはずだ、と考えていました。
案の定、それに続く藤岡さんの言葉は次のようなものでした。
「パートさんたちが、守にしつこく言ってくれるようになったんだ。それで、守も(ウンチをいじるのを)止めたみたい。」
そう。僕が待っていたのは、これだったのです。
そして、守が待っていたのも、おそらくはこれです。
藤岡さんが背水の陣で守の職場に乗り込んで、それこそ馬鹿みたいにしつこく言って聞かせる姿は、守を取り巻く職場全体に影響を与えたのです。
一緒に働くパートさんたちは、
(あんなにしつこく言ってもいいのか)
と、改めて普通に接していいのだということを確信したに違いありません。
そもそも、守は労働力として職場に歓迎されているのですから、“しつこく注意する”くらいのことで守の行動が修正され、彼が職場に残れるのなら、おしゃべりで世話好きなパートさんたちは、喜んでやるはずです。
そこには、守を職場(社会)に残らせたいという思いが詰まっています。
論理的には『ウンチをいじっちゃダメ』ということを知っている彼も、論理+αがなければ、その行動を修正できません。
論理を伝えるのは、そう難しいことではありません。絵カードや写真を使う方法もありますが、そこまでやらなくても伝わる事は多いと思います。職場で求められるのは、大抵自明のことばかりなのですから。
しかし、+αの部分は大変です。指導における文学的な要素ではないかと思います。
僕は藤岡さんに、
「藤岡さんがしつこく言っているのを見て、パートさんたちも“私たちだって出来る”って思ったんじゃない?」
と言いました。
「そうだよねぇ。」
と感慨深げな藤岡さん。
藤岡さんの説明を聞けば聞くほど、職場で頼りにされている、“気は優しくて力持ち”の守が、僕の頭の中のスクリーンで鮮やかさを増していきます。
とにかく、よかった。
守と職場の人達の絆が深まったことが、よかったのです。
僕たちは、たまたまそこに立ち会っただけのことです。
偶々、武田幸治さんという方が、『非科学的専門性』という言葉を使っていたのを思い出しました。
+αの部分というのは、これに該当するのではないかと、僕は密かに考えています。

相手は『知的障害だから』『重度だから』『自閉症だから』、というところに起点を置くと、それが時と場合によっては“逆差別”を生みます。
そもそも『知的障害』が何だか、その定義を言い表せないのに、『知的障害用の対応をする』という事が、大きな矛盾なのです。
ところが、多くの『支援の場』でこういった対応が繰り返され、事態は混迷の一途をたどります。
守の例は一般企業内でのことです。
しかし、施設という支援の専門家集団が『知的障害だから』『重度だから』『自閉症だから』をやりはじめると、もう後には戻れません。
職員集団は、解ったような言葉に振り回されて、本当の理由など観ようともしないまま、対象者を追い詰めて行くのです。
僕が、キレイに整った施設を見ても尚『プレオー8の夜明け』を思い出すのは、僕がそういう例をたくさん見てきたからではないでしょうか。
プレオー8の夜明けは、『チュンロンの歌』で始まるのだそうです。その歌に起こされながら、
「また朝だねえ、また一日だねえ」
と呟く塀の中の人々。
「また…」
という副詞が重くのしかかってきます。
ニコニコして、他人のお尻を触ってはひんしゅくを買いまくっていた頃の守には、この「また…」があったのではないでしょうか。
そこから脱却した守が、元の鞘に戻りたがらない姿が、その何よりの証拠ではないかと思います。

守の夜明け。これは、「また…」ではありません。守の胸の中にしっかりと刻み込まれることでしょう。

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夜明け(上)

つい最近、松本守が就職しました。

一年ほど前に、守は、某作業所の女性所長である須田さんに勧められて、僕のところにやってきました。

僕の見たところ、須田さんは、一見品のいい感じの中年女性です。それでいて、利用者を見る目や作業所の経営については厳しく、優しく、プロであると思います。
須田さん曰く、守は、
「我が作業所ではなく、高原さんのところで鍛えてもらった方がいい。必ず就職できる。(はず)」
という人材。
そんな話を、須田さんからの電話で聞いた僕は、お話を受けざるを得ませんでした。

須田さんは、藤岡さんという小父さんに、守の引率を頼み、藤岡さんは守を僕のところに連れてきました。
藤岡さんと僕とは、お互いにお互いの職場を出入りして、そのメリットを活かし合っている関係にあります。
彼は、外回りで知的障害者の職場開拓を地道にやっている小父さんで、長年に渡って一般企業で営業職をやってきた人です。
おそらく、須田さんの思惑として、守の職場を探せるのは藤岡さん以外にいないという事があったのではないかと、僕は勝手に想像しています。

その藤岡さんが、守を僕のところに連れてきました。
藤岡さんは、
「このこ、大丈夫なのかぁ~??」
と言って登場し、守を僕に紹介しました。
藤岡さんが“大丈夫なのかぁ~??”と言うのも無理はありません。
話しかけても、オウム返しの答えしか返ってきません。つまり、意思の確認のしようがないのです。
ただ、太り気味の巨体を左右に振り、ニコニコしているだけといった感じもします。

「就職したい?」
「シュウショクシタイ」
「就職したくないの?」
「シュウショクシタクナイノ」
「作業所がいいか、フュージョンがいいか?」
「フュージョンガイイ」
「フュージョンがいいか、作業所がいいか?」
「サギョウショガイイ」
「・・・」

藤岡さんは、初回にこんな問答を繰り返し、頭を抱えてしまいました。
何しろ、就職したいんだかしたくないんだか、さっぱりわかりません。
意思の確認をとらずに就職先を探し始めるというのは、どうなのでしょうか。そういう悩みです。
確かに、確認のしようがありません。面接という「抽象的な形」では…。

守は、そこそこの作業能力がありつつも、作業所では他人のお尻を触っては、その反応を見てヘラヘラしていることが多かったのだそうです。
こういう情報があると、
“悪いやつだなあ”
“やる気がないんじゃないか”
“ふざけている”
“重度だから、しょうがないか”
という評価が施設職員から投げかけられます。
あるいは、そこまでいかなくても、就職候補者には選ばれないでしょう。
選ばれなかったとしても、一見楽しそうに、相も変わらず、お尻を触って回っているだけのことです。
そういう人に自立を説かなかったとしても、施設職員としての資質を問われることはないのです。
しかし、別の人生もあるじゃないか。
僕などはそう思ってしまうのです。

古山高麗雄という人が書いた小説に、プレオー8の夜明けというのがあります。
実体験に基づいて書かれた戦争短編小説で、『どん底』を思い起こさせるような小説です。
戦犯容疑者として、ベトナム南部チーホア監獄に拘置されている主人公は、雑居房内でこう思います。
(いったい私たちに目的というものがあるのだろうか? 目的といえば、釈放だけだ。あるいは刑が軽いこと。それだけだ。他に何かあるだろうか? だがこれは、自分の力ではどうにもならない。してみると、目的というのはおかしい。では何だ。願望か。だがいずれにしても、私たちは能動的になることはない。ここで私たちに、なにかやれることがあるだろうか? どうすればいいのかわからない。―してみると私のやっていることなんて、なるようになってるということなんだ。それだけなんだ。段階的、だなんて、しちめんどうくさいことじゃないんだ。)

雑居房の生活と障害者施設の生活は、確かに大きく違います。生存していくために必要なものは、全てと言っていいくらいに揃っていますし、必要に応じて与えられる。
最近じゃ、個室が主流で、冷暖房も完備です。
床暖房なので水虫が治らないなんて、贅沢な悩みすらあります。
通所施設や作業所も、性格こそ違え、これに準ずるものでしょう。
少なくとも、雑居房じゃありません。
でも、僕は実感として、『プレオー8』を思い出してしまいます。

どんなに体裁を整えた施設という箱も、そこは隔離された空間であることに変わりはありません。
その空間で地域との交流云々を言うのは、誠に独りよがりの論理ではないでしょうか。
誰のための福祉なのかということを考えれば、考え方の出発点が180°違うということは自明のことです。
そこは、彼等から見れば、『塀の中』です。
しかし、現実的に施設は必要です。必要悪として必要なのです…。
しかし、そういう『施設論』は脇に置きましょう。

僕は、とにかく、守と一緒に働いてみよう、と決断しました。
須田さんのことを信用していたから受けた、ということもありますが、この守はなかなか面白い人物です。
とにかくよく働く。
一ヶ月もすると、表情が変わりました。
まず、だぶついた肉がそぎ落とされ、顔つきが精悍になりました。
他人の尻を触ってヘラヘラしていることもない。
藤岡さんは、そんな守の顔を見て、
「顔つきまで変わっちまうのか…。」
と、目を見張りました。
しかし、相変わらず、本人の意思確認は難しいままです。
それが、守の職場開拓について、藤岡さんを迷わせます。
第一、本人は僕の近くで、気に入った仕事に一生懸命取り組んでいる。
よく働いている。非常に熱心に。
出勤拒否もなく、淡々とグループホームから長い時間かけて通ってきています。
藤岡さんは、守のそんな姿を見て、
「本人が気に入っているのに、どうしてここ(フュージョン)を出して、就職させる必要があるの?」
と、まっとうなことを言います。
それを聞いて、僕は、
「もっと気に入るところがあるかもしれないのに、どうしてここにいさせるの?」
と、歪なことを言います。

そんなこんなで数ヶ月の時間が過ぎ、結局藤岡さんも、
「とにかく、やってみよう。損する訳じゃないさ。」
という意見になりました。
やがて守の職場開拓が本格的に始動しました。 
(つづく)

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屈託

先月まで入っていた現場(企業)への定着支援が一区切り付き、5人の就職を見届けました。
この先、“何もない”なんて事はないでしょう。
いつ転けるかもわかりません。
でも、今は会社の人達と、競争社会を生き抜いていくべく、日々働いた方がいい。
それが、世の中の役に立つ、ということに繋がるのだし、彼等もそれを望んでいるのですから。

最初は、何をするにしても、あたふたとしていた五人でしたが、雇用主である企業の中で、僕にしごかれながら、徐々に徐々にたくましくなっていく彼等に、ひたすら感動を覚えました。

例えば、物を運ぶにしても、へらへらしながら指先で摘むようにしてものを持ち上げ、漂うように、風に舞うようにして運び去っていた男が、必要に迫られて、両腕に一杯の物をガッチリと抱えて、地に足をつけて運ぶようになりました。
これはつまり、戦力になると言うことであり、それだけで周りの評価は変わるのです。
金勘定が苦手な男にとって、評価の軸は、その空気でしょう。
そういった空気を見事に読めるようになった自閉症の彼です。

別の男は、仲間の冗談がわからないと言ってよく悩んでいました。
冗談を冗談として受け流せず、
「何てこと、言うんだ!!」
と怒り出してしまい、仲間との関係がギクシャクすること数回。
真剣に悩んだ彼は、僕に溜息混じりで、
「ハ~ア、僕も冗談がわかるようになりたいな…。」
と、本当に悲しそうな顔で言ったものです。
この時点で、僕は、
(これは、行けるな!)
と、直感しました。
昔は、そこでジタバタして、大騒ぎして、
「高原さん!僕は明日職安に行きます!休ませて下さい!」
と、喧嘩になった仲間を引き摺りながら僕のところにきては、悲壮な訴えを起こしていました。
今は、自分の守備範囲を知り、時間に解決を任せながら現実生活を続けていくという術を身につけたようです。
高慢な高機能自閉であった彼は、己を知り、謙虚に凌ぐことで、道は開けるという事例を身に染み込ませたのかもしれません。

鼻水が出る、台風が接近している、…、そんな“事情”を仕事を休むための正当な理由として使っていた彼も、最低賃金以上を稼ぐようになってから、その“事情”は世間に対して通用しないということを学び、自己ルールを改定しました。
今は、それこそ、雨が降ろうが槍が降ろうが出勤する男に変身しました。もちろん、脅迫的にではなく、意欲的にです。
彼はその事情が許される環境にいたから、自己ルールで出欠を決めていたのでしょう。
“そういう自己ルールがあるから、社会に出せない。”
のではなく、
“社会に出して、そこで説けば、自己ルールは変更される。”
という、彼個人に対する読みは、当たりました。
一般論ではなく、各論として彼を見れば、そう思うのは当たり前なのですが…。

作業を間違えて、その修正を求められて上司から指摘を受けると、『負け』。
指摘さえ受けなければ、ろくに役に立たない作業をしていても、『勝ち』。
そういう二分法を、自分の仕事に対する自己評価基準として用いていた男がいました。
「クソ~ッ。俺は、ここで勝ってやる!」
と、無茶な姿勢で仕事に来ていた頃の彼は、孤独だったし、しんどそうでした。
ピリピリしていて、まるで勝負師でした。
でも、仕事も人生も、そういうモンじゃない。
彼の論理に対応するように言うなら、
『負けも真なり』
であり、実はその『負け』は、
『曲がるは折れるに勝る』
ことであるはず。
彼はいつから、そう思えるようになったのか。
おそらくそれは、仕事で注意されることを、“親心”と“期待”として受け止めよ、という助言を耳にした時からでしょう。
僕は、今の彼にはそれが必要だと思ったから、それこそ無理矢理に、そのことを彼に伝えました。その部分だけ切り取れば、人権侵害です。
だから、そういう“局部的人権侵害”を彼に対してする人は、あまり彼の周囲に存在しなかったのかもしれません。
しかし、そういう(それが人権侵害だという)判断を、文脈を無視して下してはいけません。
怒っていた彼の肩は、撫で肩になりました。
彼は始業前に他者より早く作業場に入って、まずは掃き掃除から始めるようになりました。
コチコチの自閉症である彼が、いつのまにか、そういう風に、周囲の期待に応じる仕事をするようになっています。
ある日、彼は、めずらしく職場にお菓子を持ってきました。昼食後にそれを鞄から取り出した彼は、黙ってそれを小分けにし、会社の仲間に配り始めました。
「どうぞ」
と、ぎこちない言葉を添えて…。
僕はびっくりしました。
しかし、その菓子をもらった健常の先輩従業員は、びっくりしていません。
その翌日、先輩従業員はごく自然に、さりげなく、“お返し”のあめ玉を翌日の昼食後に配ります。
びっくりした僕の方が不自然なのです。
数年前、養護学校で、
「この子は、少しでも失敗するとパニックになり手がつけられなくなるから、就職は無理。」
「周りに合わせることができないから、就労は難しい。」
と言われていた男。
卒業直後、別の支援機関からは、
「彼には“トラウマ”があって、何か言われるとパニックになるようです。少なくとも二年間位は、福祉施設か福祉作業所で過ごすのが望ましい。」
と言われていた男。
しかし、卒業後、ちょうど一年間の訓練期間を経て、彼は労働基準法で規定されるところの、『労働者』となりました。
僕は、どこから二年間という数字が弾き出されたのかを、かの専門家に質問するのを忘れてしまったことを、後悔しています。

どこで就労しても虐められて長続きしなかった男は、社長にその細やかな才能を見いだされ、社長から直々に“育てたい”と言われ、今月から本社勤務になりました。
今後、今まで一緒にチームメイトとして働いていた他の四人とは、勤務地が変わり、お別れとなります。
いつも自信なさげであった彼で、その暗さ故に、
「就労は無理」
と言われておりました。
企業での面接会場で、相手方から彼の見た目の暗さを指摘された支援者は、“そんなことはありませんよ”とフォローしてあげることをしませんでした。
しかし、これまでの実社会の中における経験を見ながら、社長は、
「そんなことはありませんよ。」
と、僕に断言するに至っています。
どちらが現実なのでしょうか。

よく、前向きに生きる知恵遅れの人達を見て、『屈託ない』と表現する人がいます。暖かい表現だとは思いますが、健常者の希望を彼等知恵遅れたちに背負わせているのではないかという、穿った見方をしてしまうこともあります。
あるいは歪(いびつ)な見方なのかもしれませんが、僕はいつも、前向きに生きようとしている知恵遅れの人達を見て、『屈託ないことはない』と思います。
僕が、彼等と企業への支援を一区切り付けて、一歩後ろに下がることを、知的障害を持つ5人に伝えたとき、彼等の表情に二種類の感情が見えました。
一つは“喜び”です。
もう一つは“不安”です。
それは、『屈託ないことはない』という表情だったと思います。


僕は、屈託を背景に退かせ、希望を前面に置き、旅立って行く彼等を見て、“配慮しつつも、屈託なく”それを見送ることにしました。 【“屈託”の続きを読む】

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理由(わけ)

『喧嘩っ早い』と形容される人がいます。
短気だとか、耐性がないとか、いろいろな分析がなされますが、現場レベルで言うならば、そんな表現は単なる“言い回し”に過ぎないと思います。
しばしば、専門家によるそれらの“言い回し”が、彼等への支援を生業とする人間の感性を曇らせてしまいます。
そういう連鎖の中で、高木豊は就労をあきらめ、文字通りブラブラして過ごしていました。

いい若いモンが仕事もしないで、という批判を、
「給料が安いから」「つまらないから」
といった言葉で躱しながら過ごしてきた豊でした。
僕は、
(何が彼にそのような言葉をはかせるのかな)
と考えていました。
やがて彼は、“給料が安”くて“きつい”仕事を始め、
「やっぱり、日中は働かなくちゃ。」
とニヤニヤしながら僕に言うようになりました。

豊は彼の親を見たことがありません。だからかどうか、他の仲間が両親の話などをしているのを聞くと、寂しそうにニヤニヤとしていることが多く、後で僕のところに来て、ぼそっと、
「そういう(親の)話は、あんまりしないで…。」
と頼みに来たこともありました。
豊は優しいところがあり、重度の人をとても可愛がったり、逆に弱いもの虐めを許すことが出来ないようなところが見られました。
自分の境遇がそこに重なって見えるのかもしれません。

豊よりも5歳ほど年上の一雄という青年が、豊と一緒に働いていました。
その一雄は、父親と二人暮らし。よく親父と二人で酒を飲んで酔っぱらった話を、まだ酔いが覚めていないのではないかと思われるほどクドクドと、しかし楽しそうに、自慢げに語る男でした。
強いものに弱く、弱いものに強いところがある一雄は、周囲から敬遠されることが多かったようでした。
豊も一雄も、共にお金の勘定などが苦手で、使える言葉も限定されます。コミュニケーションは上手いものではありません。
ある日、その二人に事件がおこりました。
日中の仕事を終えて、着替えていたときのことです。
更衣室から、“ドス~ン”と矯激な音が聞こえてきました。
一回や二回ではありません。数回繰り返されました。
それと同時に、
「この野郎!ふざけるな!調子に乗ってるんじゃねーぞ!俺は絶対に許さない!」
という荒々しい声がします。
間違いなく豊の声です。
「豊さん、怒らないでちゃんと教えてくださいよ。何が悪かったのか…。」
5つ年上の威厳をすっかり失った一雄の縋るような声が、聞こえてきました。
「うるせー。お前、正次をどかして、ヨコハイリしただろう。謝れよ!正次に謝れ!」
正次は重度の自閉症です。どうやら、手を洗う順番待ちのときに、一雄が先輩風を吹かして、正次をどかし、先に手を洗い出したらしいのです。
僕が駆けつけたとき、豊は一雄の胸ぐらをつかみ、引きずり倒して、一雄の脇腹に拳を叩き込んでいました。
勿論、放っておいていい場面ではありません。誰がなんと言おうとも、殴る蹴るを正当化できるものではありません。
僕の怒鳴り声が響き、豊の拳は止まりした。
正確には、一雄の正次に対する土下座が豊の拳を止めたのかもしれません。
「今度やったら、(高原が)なんと言おうとも、絶対に許さない。」
豊が尚も一雄を睨み付けながら言いました。
(今回は、高原に免じて許す)
そういう彼流の矛の納め方です。
それ以上言うことを、僕は許しませんでした。もちろん、拳についても同じです。

少し間を置き、豊と話せば、彼は殴る蹴るの悪さなど、よくわかっているのです。
ただし、それに至る理由に触れることなく、その悪さを指摘しても、無駄です。
また、彼の根底にある寂しさや、それを脇に置き生きていく勇敢さに思いを馳せることなく、説教をしても無駄です。それどころか、拳や蹴りが飛んでくるかもしれません。
そのことが、彼を“難しい人=処遇困難”にしてしまいます。
しかし、逆もまた成り立つと思います。
彼の心中に思いを馳せながら、彼を使ってくれる人がいれば、彼は就労自立できる。いつか、その誰かと巡り会えば…。
あるいは、針の穴ほどの可能性なのかもしれません。しかし、本人が諦めない限り、その時を信じて、最悪の状態になることを確実に予防しながら時間を稼いでいくのが、彼への支援であろうと思います。

テーマ:障害者の自立 - ジャンル:福祉・ボランティア

見えない壁が見えるとき

働く時に求められるものがいくつかあります。
その中で、『判断』というものがあると気づきました。
先日、あるシンポジウムに参加したときに、役所に就労している知的障害を持つ青年が、就職して一番大変だったことのひとつに、
「自分で判断しなければ行けないこと」
を挙げていました。
これは、意外と気づかれないことなのですが、僕はいつもそれを痛感しており、
(やっぱりな)
と膝を叩いたものです。

物静かな青年である幸司は、これまで何度となく自分で職を探してきては、そこで働いていました。
まじめな彼ですが、どの職場でも、なかなか勤続年数が伸びません。
その彼が、ケースワーカーさんと共に僕のところに現れ、就職へ向けての訓練を、という話になりました。
荒々しい言動や虚言があるわけでもなく、忍耐強い彼が、いったいどういうことで就職できないのか、そのときの僕には解りませんでした。
確かに、訓練という範囲においては“問題なし”の彼ではあります。
ただし、そのことに気づかない支援者の思考領域において、“問題なし”であるに過ぎないということに、気づかされることになります。
確かに、就職すると、もう一つ別のものが求められます。

彼が条件付きの就職を果たして、しばらくそれを眺めていると、あることに気づきました。
それは、幸司がその仕事をしていく上で、最低限求められる『判断』が出来ないということでした。
決して難しい仕事ではないにもかかわらずです。
そこに就労している、彼よりも遙かに厳しい知的障害を持つ青年達は、四苦八苦してその『判断』が出来るようになっていきます。
そんな中で、知的にはオセロゲームで僕を負かすことさえある彼が、遅れを取り始めました。
(なぜだろう?)
僕は幸司のことをよく見ていると、彼は『判断』していないことに気づきました。
判断を求められる場面になると、コソッと周囲に『正解』を求めて質問するのです。
そして、その仲間によって『判断されたもの』を実行する。
しかし、実際収益を上げていかなければいけない場面で、一々それをやっていたら、他の人たちにも迷惑になり、全体の能率も下がってしまいます。
彼は謙虚だと言えば、確かにそうも言えます。
ただし、企業でお給料をもらうということは、ある範囲において仕事を任され、それに応えていく事への対価です。
しかし、自分がすべき判断を他人にゆだね続けるということは、給料分の仕事をしていないという言い方もできます。
それでも、他の人と給料が一緒であれば、いつかそのことに対する歪みが噴出するでしょう。
訓練時代には、そのことに気づかれず、扱いやすい人で通ってしまった彼です。
そこで僕は、
(しかし、これは、どこで身につければいい能力なのだろうか。)
と悩みましたが、結局のところ、コスト意識のある場所で、コスト意識のある人間が、その意識に応じて幸司にその『判断』を求めていくという形で身につけていってもらうしかないということに気づきました。

これは、施設や福祉的就労の範囲では、とてもやりにくく、場合によっては、やろうとしても出来ないことだと思います。
その範囲が持つ限界を知る支援者(または、隣人)がいなければ、彼の成長は望めないのかもしれません。

“色々な人がいて、色々な壁がある。それに応じた支援が必要だ。”
そんな『一般論』は机上でいくらでも言われることです。
支援者もそれを聞いて、
「そりゃそうだよ。」
と、解ったつもりになっている。
でも、実際には、それを一つ一つ『各論』として確認していくのが現場の仕事なのです。

僕が知っている範囲での知的障害者福祉や支援は、到底そのレベルには達していないと言わざるを得ません。

疑心暗鬼

「他人を見たら泥棒と思え」
などという諺があります。
僕は、ある一群の人達を見て、
(泥棒だったら、まだいいな)
と思ってしまうことが、よくあります。

良太は、注意をされるとパニックを起こすという理由で、就職できずにいました。
僕の印象は、
(なんとでもなるさ)
というものでしたが、実際は注意されるといちいち、
「俺はだまされている。いや、俺には解る。みんな俺を欺そうとしている!」
などと力一杯言うのだから、注意する方も気分は悪いのです。
支援者たるもの、良太のこんな態度を見ると、思わず、
(この人、他者の話を聞く気がないんじゃないか。自分勝手にやっていたいんじゃないのか。)
など考えてしまい、
「あと二年くらいは、就職できません。十分に訓練して下さい。」
と施設を勧めたくなるようです。
しかし、たまたま、僕のような変人が良太に就職を勧め、案の定、職場で
「俺はだまされている…」
と始めます。
それを捕まえて、
「おい、良太、あのさぁ。欺されているじゃないでしょ。注意されるということは教えてくれているということだぜ。教えてもらえなくなったらおしまいだぞ。教えてもらっているときは静かに聞くモンだ。」
とやると、はっとした表情で、静かに聞き始めます。
(まさか、教えてくれているなんて、夢にも思わなかった)
みたいな顔をして…。
良太にとっては、職場で作業のやり方を注意されるということが、あたかも人格の全否定のように超増幅されてしまうのでしょう。
でも、僕からお説教を食らってから、『超増幅注意』は『一生懸命教えてくれている』に翻訳されて、良太に受容可能な言葉となったのでしょうか。
それ以降は、すっかり注意された時におかしなことを言わなくなり、“好感度ア~ップ”とまでは行かないが、“ちょい無愛想”くらいのマイルドに落ち着きました。

誰だって、
(とって食われるかも)
と思うと、ファイティングポーズをとりますよね。
それは、生存本能でしょう。

もうひとつ書きます。
俗に言う、行動障害と呼ばれる人達のことかもしれません。
一括りにするのは非常に危険なのですが、敢えていうなら、この人達が抱えているであろう不安は、計り知れないものがあると思います。
僕はこれを、単に、情報が上手く認知できないから、というだけではないと考えています。
例えば、視覚優位だから絵カードで云々…、という『プログラム』を見たとき、僕は、
(それ以前の問題については、議論されているのだろうか?)
と考えてしまいます。
“それ以前の問題”は、かの『プログラム』よりも、遙かに大切であるというのが、僕の印象です。

学校に行くと失敗を繰り返してしまう『行動障害』の子が、それを不安の種にして、全ての生活を破綻させてしまうことがあります。
登校前の朝食が食べられなくなり、前夜に眠れなくなり、前日の夕食がだめになり…。
ドミノ倒しの方向が、その子自身に向かってくるような、そういう恐怖でしょうか。
周囲の支援者は焦り、しばしば、何が何でも学校に行かせなきゃ、という姿勢になることもあります。
支援者の情熱がそういう態度をとらせるのであると信じます。しかし、その『何が何でも』が、いくら“その子のため”であったとしても、支援者の思考の範囲に“その子のため”が堂々巡りしていると、決して上手く行きません。
何故だ・・・?
頭が痛くなるほどに考え、思いをはせなければいけないのだと思います。
それでも支援者の思考は、その範囲を超えません。そういう前提で、頭の痛くなる思いをするのが『支援』なのだと思います。
その子が、学校に行き、卒業もしたいと強烈に思っていても、行動はめちゃくちゃになる。
これが絵カードや写真のスケジュール表でで整理のつく問題かというと、そうでないことが非常に多い。
それは、“それ以前の問題”が、あまりにも大きく重くのしかかっているからではないでしょうか。

誰か、それに気づいてほしい。
その声なき声が聞こえるかどうか。
飯も食えずに部屋の隅にうずくまり、真っ青な顔とつり上がった目で虚空を見つめる。
ちょっとした刺激で暴れ出し、自分も含め、ありとあらゆるものを破壊してしまう。
そんな彼が、「誰か」を求めているとしたら…。
「写真のスケジュール表」は、その後でもいいのではないでしょうか。

「君は学校に行きたい。それなのに、行けば上手く行かない。だから暴れちゃうんだよな。」
 「…。」
「周りは、学校に行かせようとする。君だって行きたい。でも、行けばどうなっちゃうか分かっちゃうから、体が硬くなる。飯だって、ひっくり返しちゃうし、うまく食えないや。」
 「(うん)」
「でもね、君がいくら学校に行きたくたって、それで君が壊れてしまうのだったら、俺は行かせない。学校に行きたいのに上手く行けないということで、君が大暴れしても、君が壊れてしまうくらいなら、絶対に学校になんて行かせない。(眼に力を込め、気合いの入った声で)解ったか!」
 (目の焦点が合い、顔の色が肌色に戻り)「はい。」

こんなやりとりで、毎食ひっくり返してしまい食べられなかったご飯が美味しく食べられるようになり、次の日に登校できるかもしれません。
(本当に辛かったんだろうな。独りじゃ戦えないや。)
と思ってしまう一瞬です。
渡る世間は鬼ばかり。
でも、捨てる神あれば拾う神あり、です。
大丈夫さ、と言ってあげたくなってしまう僕は、甘いのでしょうか。

『エコーとナルシス』の神話に例えるなら、彼や彼女はエコーなのかもしれません。でも、僕らはナルシスであってはいけないのです。
そんなことを、十亀史郎さんというドクターが本に書いておられました。

現金なはなし

数ヶ月前、『福祉事業』云々と書かれた名刺を持つ初老の女性と、ある場所で働く一人の障害者の賃金について、向かい合って話をしました。
その初老の女性は、何でもかなり大きな規模の会社を経営していたことがあるらしく、その経験をもとに、企業のコンサルタントや福祉事業の支援?をやっているのだそうです。
僕などとは違い、その名前をインターネットに問いかけると、何件かヒットします。
僕はその人に、障害者のやった仕事のうち、数字ではっきりと出る部分については、その相場に応じてきちんと支払うべきだという主張をしました。
しかし、彼女は、
“(企業が)知的障害のある人に仕事をあげているのだから、それはいいことなのだ。だから、彼らが仕事をして出た数字や相場に応じた額を支払う必要はない。何故なら、こちら(企業)は、障害者福祉に貢献しているのだから。”
というような意味のことを言い、最終的には、
「彼らには年金があるのだから、いいじゃないですか。」
と、言い放ちました。
僕は、実におかしな話だと思い、その初老の女性と議論しましたが、噛み合わず、けんか別れしました。
その方は、別の場所で、原の考え方はおかしい旨、熱弁をふるわれていたそうです。
(企業が障害者の面倒をみてやっているのに、そこで障害者がその仕事に見合った賃金を欲しがるなんて、恩を仇で返すようなものだ。)
とでも言いたいのではないでしょうか。
少なくとも、僕には、その方の話を聞いて、背景にそういう思想があるのを感じざるを得ませんでした。

ある仕事を障害者に割り振ると損するということが自明で、それでも仕事を障害者に宛がうのであれば、慈善事業として“面倒をみてやっている”ことになるかもしれません。
しかし、この議論の対象となっていたケースは、明らかに企業が得をしていました。更に、企業は得(生産性の向上)を見込んで仕事を障害者に割り振ったという事実もありました。
であれば、これはビジネスだということになります。
ところが、支払いの段になると突然慈善事業に変化してしまうというのは、全くのインチキだと言わざるを得ません。
このインチキに甘えた“似非福祉”もありますが、これについては、別に議論します。

つい最近、北海道で知的障害者が奴隷労働をさせられていた、というニュースが流れました。
事実とすれば、奴隷の方がまだましだという内容のニュースでした。
奴隷制度が普通に存在していた時代、いい仕事をする奴隷は、性能のいい機械同様に、とても大事に扱われていたそうです。
その意味で、このニュースに出てきた知的障害者の方は、奴隷としての扱いすら受けていません。奴隷労働にすらなっていないということになります。
この経営者の発言から、
(自分は悪いことをしていない。なぜなら、障害者の面倒をみてあげていたのだから。)
というニュアンスを感じたのは、僕だけではないでしょう。
つまり、ビジネスではなく、慈善事業のジャンルに入っているのです。

奴隷であれ何であれ、まともなビジネスとして考えたなら、こんな悲劇は起こらなかったのではないだろうか…。
そして、冒頭に書いた初老の女性における思考様式も、詰まるところ、この悲劇と同じではないのか。
僕は、そう考えざるを得ませんでした。

栄一がある企業と雇用契約を結び、そこで働き始めました。
彼はその昔、居住施設に住みながら、偶に自宅に帰っては母親をぶん殴っていました。
ボロボロの雑誌をいつまでも読み、強迫的な質問を繰り返す姿からは、就職して稼ぐという目標を立てることは困難であったと思われます。
しかし、施設の中で壊れてしまった栄一は、ある施設長さんに紹介されて僕のところにきて、その後就職をしました。
当初、栄一がなぜ会社で働くのかというと、
「施設に戻りたくありません。」
その一心だったようです。
少なくとも、お金を稼ぎたいということではなかったと思います。
精度も量も、桁違いのものを要求される仕事に対して、栄一は、
「何でこんなに厳しいのですか?」
と、少ないボキャブラリーを駆使して訪ねたものです。
それでも“施設に戻りたくない”一心で頑張り続けたのは、施設でぶっ壊れてしまった経験が、栄一にとってはよほど辛かったのでしょう。

その栄一に一回目の給料が出たとき、栄一の生活を支援する職員がその給料を見せました。すると彼は、今までの『工賃』とは、文字通り“桁が違う”ことにびっくりしてしまったそうです。
それ以降、“施設に戻りたくない”からではない労働意欲が沸いてきたのかどうか…。
元々ぎこちない栄一の体の動きにキレが出てきました。
かなりきつい自閉症である栄一が、他者の話を一生懸命に聴き、また、聴き取れるようになってきました。
聴き取った情報が頭の中に滞在し、その情報を別場面で参照できるようになってきました。
施設にいた頃の嫌な思い出話をしなくなり、脅迫的な質問もなくなりました。
当然、仕事の精度も量もアップしてきたことは、数字の上でも明らかです。

「彼らには年金があるから、いいじゃないか。」
という人に対して、敢えて言いたい。
「経験的に言って、それは違うと思う。」
と。
年金という、あまり重みを感じられない“援助”では起こりえない変化が、自分の働きに応じて得られた賃金に後押しされて起こってきます。
これは、しばしば、“支援者”の思考の範囲を遙かに超えるものであります。

また、もう一方では、こんな風にも考えます。
もしかすると、『施設』というのは、栄一から見ると“慈善事業”の領域に他ならないものだったのではないだろうか…。
“慈善事業”の持つリスクを自身の体で知っている栄一は、ビジネスとして自分の労働力を企業に売り込むことで、その領域からの脱出を試みているのかもしれません。

南の島の大王は…

南の島の大王は
子どもの名前もハメハメハ
学校ぎらいの子どもらで
風がふいたら遅刻(ちこく)して
雨がふったらお休みで
ハメハメハ ハメハメハ
ハメハメハメハメハ

健司は、訓練時代、その歌の歌詞を思わせるような男でした。
見た目は格好いいし、スマートな受け答えをするし、いったいどこがワルイのですか?と言われることも多い彼なのですが、何しろ『南の島の大王』なのです。
風がふいたら遅刻(ちこく)して、雨がふったらお休みで♪なのだから…。
当然、彼は、福祉施設から就労に結びつくことはありませんでした。
そんな健司も、30歳になりました。
業を煮やした担当職員は、健司を僕のところに結びつけました。
が、僕は神様じゃないし、『南の島の大王』を『サラリーマン金太郎』に変えることは出来ません。
それに、そもそも、そういう気になれなかったのでした。

健司のことを「アホな息子だけれども、可愛くてしょうがない」と言って憚らない父さんは、やきもきして、
「先生、叱ってやってください。天気予報をみて、(天気が悪くなるから)休むというてますのや‥」
と、僕に懇願してくるのだが、どうしてもやる気にならない僕は、ヘラヘラと誤魔化し続けてきました。
実際、彼は天気予報を見て、その予報が悪ければ休むことが多いのです。それに、一般的に言って病気とはいえない程度の症状であっても、
「病気だから休む。」
と言って休んでしまいます。
周囲の支援者たちは、口をそろえて、
「根性がないのがたまにきずだ。」
と言っていました。
(根性ねぇ…)
僕は、今ひとつ腑に落ちません。

そんな健司を受け入れてくれる職場があり、僕から勧められた彼は、アルバイト雇用という形で『仕事』を始めました。
健司は、これまで数社の実習をうけていたが、どうも自信がないのか何なのか、途中で何だかんだと言っては、実習をやめてしまっていました。
今回は実習なし。いきなり就労。お試し期間はなしとしました。
なぜか、その方がいいと、僕は思っていたようです。

始まってから一週間後の朝、健司は再び『南の島の大王』の名に恥じない行動にでました。
親に対して
「風邪をひいて喉が痛い。だから休む。」
と宣言し、『大王』は、てこでも動かなくなったのです。
親が出勤しろと言えば言うほど、動かなくなってしまったようです。
父さんは朝一番で僕の電話を鳴らしました。
事情を話し、
「叱ってやってください。」
と、頭を下げているのが見えるような声で言っています。

僕は健司の電話を鳴らしました。すぐに彼は出ました。
「おい、健司。今日、風邪引いたって?」
「はい。喉が痛いんですよ。だから休みます。」
全く悪びれた様子がありません。淡々と『休む』ことが正当な権利であると主張しています。
僕が、
「熱はあるのか?」
と質問すると、“ない”といいます。実際、父さんの話では、大した『風邪』ではないらしいのです。
「あのなぁ。健司が今行っているのは、会社だぜ。君は雇用されているんだよ。お父さんが働くのと一緒だ。風邪引いたのはわかったけれど、熱がないのに休むのは変だよなぁ。」
僕は、訓練時代にはけっしてしなかった(やるきがしなかった)、『南の島の大王』への説得を、初めてやってみました。今度はやる気がしました。
「施設じゃないんだからさ。仕事に穴を開けるなよ。風邪は働きながら治せや。普通はそうするんだぜ。」
と、やんわりと言いました。
すると彼は、僕の『普通はそうするんだぜ』という言葉に対して、
「そうなんですか!」
と、意外そうに答え、電話を切りました。
その後の健司の行動は、父さんの言葉を借りれば、“センセの電話を切った後、ピューと出て行きよった。"ということでした。

それから現在まで、健司が『南の島の大王』に変身することはありません。
これから先もずっとそうなのかどうかは、僕には判りません。
でも、彼の中で何かが変わったということは、僕にも確信を持って言えるのです。