いつも通り、的外れで場違いな僕の発表とのコントラストが際立つ。それでも、この会合では、なぜか、僕が発言を求められることが多い。不思議なことである。
さて、考えさせられるのは、その内容である。
障害福祉の世界でも、「オンラインは素晴しい!」と、オンラインで在宅支援することに凄い注目が集まっている。今日の会場でも、「オンライン支援 No.1!」みたいな雰囲気であった。
僕も、そういうオプションがあることは、悪いことではないと思っている。しかし、ここでも絶対にマイノリティーが現れてくる。そのことへの危惧があまり感じられないことが心配だ。
以下に、架空のケースを紹介する。考えてみてほしい。
大地という45歳の青年がいる。彼は、知的障害だ。数字に弱く、生活保護費の受給を週2回に分けてもらうように設定し、どうにかやりくりしている。普通の受給スタイルでは、一気に使ってしまうから、就Bの職員とじっくり話し合った末に、自分でもそうしたいと言って、超分割受給スタイルにしてもらっている。
彼は、そうしながら地元の就Bに通っている。
家に帰れば、75歳を過ぎ、オムツ・半分寝たきり・20年以上風呂に入っていない母さんと二人暮らしだ。この母さん、こんな状態なのに、パチンコと喫煙のためには、這ってでもその場所へと移動する。その途中で怪我をすることだってある。
大地の役割は、その母さんの面倒をみることだ。大地はよく就Bの職員に相談する。
「オフクロに保護費を渡すと、全部パチンkとタバコに使っちゃうんですよ」
大地は、本当にこまっていて、なんとかしたいと思っている。
大地の母さんは、公的な支援を受けたがらない。最近になって、ようやくヘルパーのことを信用しだした。それまでは、ヘルパーを部屋に入れさせるなどということは絶対に許さなかった。そう。この母さんは、一刻者なのだ。ましてや、施設に入るなんて、一刻者は絶対に承服しない。そして、大地も、それを望んでいない。ギリギリまで一刻者母さんと一緒に暮らす覚悟なのだ。誰がそれを否定できよう。
そんな大地が、もしも、明日、彼の通う就Bからタブレットを貸し出され、
「来週からオンラインで在宅支援するから、通所はナシですよ」
と言われたら、どうだろう。大地は、ギリギリまで母さんと一緒に住まおうと覚悟しているとはいえ、在宅支援になれば、一刻者母さんとの暮らしに埋没していくだろう。今は、日中の就Bで、母さん以外の仲間と一緒に働くという時間があるから、一刻者母さんともやって行けるけれど、その就Bがオンラインの仮想空間になってしまったら、彼はやっていけるだろうか。
一方で、施設側の事情もあるだろう。オンラインと通所を同時並行二刀流やるという運営を継続すれば、1ヶ月でマンパワーが底を突く。施設は疲弊しきってしまう。いきおい、今の報酬体系の中でそれをやれば、利用者にオンライン一択を迫るような施設もでてくるだろう。オンライン一択が可能な利用者で固めれば、そっちの方がコスト抑えられる。だから、そういう利用者ばかりを相手にした就Bが出てきたって不思議ではない。それでも、それを支援と呼ぶのか?そういう素人受けする事業所が増えてきたときに、厚労省は、それも社会福祉事業の1ジャンルとして、予算をつけるのか?その変わりに何が削られるのか?オンライン支援オンリーなんてのは、私塾としてやるのではいけないのか?
オンライン礼賛になり、万が一、大っぴらにこれが認められるようになれば、大地みたいな青年を快く支援する就Bがどんどん減っていくかもしれない。
これはたぶん、僕の杞憂だと思う。でも、今日の会合は、そんな杞憂が僕の頭の中にモクモクと浮かんでくるような雰囲気でもあった。杞憂に終わるとは思うけれど、僕みたいに変な心配をする奴も、世の中にはいないといけないとも思う。
大地のようなケースは、実はたくさんいる。でも、
「オンラインはカッコイイ! スマートじゃん! 合理的~! ブラボー!」みたいに、スッキリと大衆受けする表現ができない事例なのである。
障害福祉の世界は、本来浪花節なのだ。しかし、素人受けする商売が台頭してくると、この本質を伝えるのに、結構苦労するのだ。
心配のしすぎだね。今日は、さっさと風呂に入って寝よう。
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